代表挨拶 MESSAGE
空気の美味しい家づくりを
「部屋の空気が美味しい」
その言葉を、お施主様からいただくと、しみじみ嬉しく思います。
これこそ、私たちが常に目指す家づくりだからです。
環境汚染へのショックと自戒が原点
1990年代、首都圏に近い山林で、産業廃棄物が不法業者により野焼きされ、
周囲の農地や住宅地が、ダイオキシンをはじめとする有害化学物質に汚染。
当時社長の河合孝(現会長・父)は、その実体を確かめたいと、
現場に駆け付けました。
「シックハウス」が、深刻な問題になっていたからです。
ホルムアルデヒドなど含む新建材で建てられた住まいは、
室内空気を汚染し、深刻な健康被害が出ていました。
現場では、やはり不法投棄されたゴミの中に、化学物質まみれの建築廃材が大量に。
そこから放出された有毒ガスによって、周囲の木々が立ち枯れている様を
目の当たりにした父は、非常なショックを受けます。
健康被害にさらされる住民の方々からの嘆きの声も直接うかがいました。
そのとき、人生を託すべき住まいが、環境や暮らし、
人を破壊するものであってよいはずはない、と強く心に刻んだそうです。

代表・河合稔。
お客様の声をとことんうかがいます。
以来、河合工務店では、化学物質を極力使わず、国産材である
清らかな無垢材を、風土に調和した伝統構法により、丁寧に組み上げ、
心安らかな「木の空間」を生み出そうと、日々奮闘しています。
もちろんその家は、遠い将来に廃棄されても、環境、地球を汚染しません。
ご家族、お子さんが、呼吸すれば、澄んだ空気が胸いっぱいに満ちる家々を
たくさんつくりましたし、今もつくり続けています。

左は、環境問題を意識し、家づくりを実践した会長・河合孝。
右は代表の稔。株式会社設立40周年を祝って撮影。
地域に信頼される職人として生きる
1938年に当社を創業した先代の故・河合丈夫(祖父)は、一流の大工でした。
頑固一徹で、自分の気に入るまで仕事をするので採算があわず、
生活は大変だったと聞きます。
先代は、自身が建てた家を、よく訪問し、検(み)て回っていました。
「なぜ、そんなことするの?」と幼い頃の私が尋ねれば、
「お施主様がお困りにならないため、
家が長持ちするように、壊れたところがあったら、直していくんだ。
地域のみなさんから信頼されての仕事なんだよ」と答えます。
この精神こそ、河合工務店が忘れてはならない「芯」だということを、
今、私は噛みしめています。

先代の故・河合丈夫。
大工職人として誇りを持ち、自身が手がけた家を、
生涯検(み)て回った生粋の職人。
お施主様のライフプランを、とことん実現
父・孝が株式会社を設立したのが、1982年。その30年後の2012年、
私・稔が、3代目として社長に就任し、現在に至ります。
これから当社をどんな工務店していこうというのは、
いつも自問していることです。
まずは、お施主様のご要望をとことんうかがう。
それを、発想力の豊かな設計士とともに
創意工夫に満ちたプランにまとめ、大工はじめ職人たちが、
真心込めて「家」という形にしていく。
そして、これまでの仕事を誇りとし、受け継ぎ、技を磨き、
さらに発展させていくよう、愚直に努力することしかないなと。
幸い、良きパートナーを得て、2人の子どもにも恵まれました。
家庭人としての責任と喜びも知り、その心情をも糧にしつつ、
お施主様のお気持ち、ライフプランに、しっかり寄り添わせて
いただければと考えています。

地元で開催される城山祭にて、愛娘を抱く稔代表。
このとき、青年部長を務める。
2018年には、地元中野区で、念願の自邸を実現。
都心の狭小地21坪に建てた3階建てです。
私と妻が語り合った「夢」を、試行錯誤の上に形にした家となりました。
新時代における河合工務店の家を表現したモデルハウスとして、
お客様をお迎えしています。
家のことであれば、新築・リフォームから、修繕などの
こまごましたことまで、ぜひお気軽にご相談ください。
河合工務店代表・河合稔

河合工務店の理念を、壇上で語る稔代表。